2009年11月27日
善光寺40年前(番外編)
ずっとずっと気になっていても行けなかった場所というものがあります。
今日からしばらく、善光寺40年前番外編。
善光寺の裏山・・・地附山。
地滑り以降、登山できる雰囲気ではなかったのですが、ボランティアの方々の努力によって素晴らしい遊歩道が完成したことを知り行ってきました。
かつて長野市民のレジャーの中心地のひとつだった地附山山頂。
子供の頃、町の育成会のイベントや、家族の行楽に何度も訪れたところ。
山頂までは、桜坂の上から善光寺ロープウェーを利用。
山頂のスキー場に行くときは、スキーをゴンドラの外にくくりつけるため、スキーが飛ばされないかとハラハラしながら、小さくなっていく善光寺を眺めていたものでした。


そんなロープウェーの山頂駅も今では階段状のコンクリート製発着場と駅の土台を残すのみ。
変わり果てた土台を見ながら、小学校の窓からゴンドラが山頂駅に吸い込まれていく姿をぼんやりと眺めていたことを思い出していました。
今日からしばらく、善光寺40年前番外編。
善光寺の裏山・・・地附山。
地滑り以降、登山できる雰囲気ではなかったのですが、ボランティアの方々の努力によって素晴らしい遊歩道が完成したことを知り行ってきました。
かつて長野市民のレジャーの中心地のひとつだった地附山山頂。
子供の頃、町の育成会のイベントや、家族の行楽に何度も訪れたところ。
山頂までは、桜坂の上から善光寺ロープウェーを利用。
山頂のスキー場に行くときは、スキーをゴンドラの外にくくりつけるため、スキーが飛ばされないかとハラハラしながら、小さくなっていく善光寺を眺めていたものでした。


そんなロープウェーの山頂駅も今では階段状のコンクリート製発着場と駅の土台を残すのみ。
変わり果てた土台を見ながら、小学校の窓からゴンドラが山頂駅に吸い込まれていく姿をぼんやりと眺めていたことを思い出していました。
Posted by kasayan at 19:30│Comments(0)
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