善光寺40年前(番外編)
ずっとずっと
気になっていても行けなかった場所というものがあります。
善光寺40年前番外編
善光寺の裏山・・・かつて長野市民のレジャーランドだった
地附山・・最終回
昭和60年、大規模な
地滑りによって多くの命と家が失われ、飯綱、戸隠の観光の生命線だった戸隠有料道路・・・
バードラインが消えてから20年以上。
数十年ぶりに懐かしの地附山の山頂を訪ね、下山したところで見つけたのが
「戸隠有料道路入口」の木製の看板。
地滑り跡地の近くにあるプレハブの公民館の壁にとりつけてありました。
バードライン経由戸隠行きのバスに乗って
ロープウェイ乗り場を過ぎ、
老人ホームのバス停を過ぎると、バスはSBC通り方面から須坂、志賀高原を見渡すカーブにさしかかります。
カーブには
料金所とこの
看板がありました。
ずっと長野にお住まいだった方は、この看板の存在をご存じだったと思いますが、30年ぶりに長野に帰ってきた私にとって、あまりに懐かしく、しばし看板の前で立ち止まってしまいました。
地附山の山頂を歩きながら、地附山がレジャーランドとして
活気にあふれる山だっただけに、懐かしさと同時に、寂しさも感じていました。
でも、このカーブから見える
志賀高原、菅平、千曲川の変わらぬ景色がいつまでも残っていくと思うと、なんだか元気が出てきました。
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